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福岡地方裁判所飯塚支部 昭和40年(ワ)78号 判決

原告

西秀孝

原告

西百合

右両名代理人

高木定義

被告

福岡県

被告

原野勇高

被告

徳野伊勅

被告三名代理人

内田松太

堤千秋

植田夏樹

主文

被告福岡県は原告らに対し、金三万円及びこれに対する昭和四四年一〇月一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らの被告福岡県に対するその余の請求ならびにその余の被告らに対する請求を棄却する。

訴訟費用は、原告らと被告福岡県との間に生じた部分は、これを一〇分しその一を被告福岡県の負担、その余は原告らの負担とし、原告らと被告徳野、同原野との間に生じた部分は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

一、原告らの求める裁判

(一)  被告らは、連帯して、原告らに対し各金四一〇万八、〇〇〇円およびこれに対する昭和四四年一〇月一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  被告原野、同徳野は、連帯して、朝日、毎日、西日本の各新聞の各筑豊版下段に、巾八センチメール、三段抜きとし、◎印は四号活字大、謝罪広告の表題及び被告らの氏名は何れも四号活字、本文及び学校名は何れも五号活字、日付は六号活字により、別紙文案のとおりの謝罪広告を、それぞれ三日間連続して掲載せよ。

(三)  訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

との判決ならびに第(一)項に限り仮執行の宣言を求める。

二、被告らの求める判決

(一)  本案前申立

原告原野、同徳野に対する本件訴を却下する。

(二)  本案についての申立

(イ) 原告らの請求を棄却する。

(ロ) 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二請求原因

(一)  被告徳野らの行為について。

原告らの二男訴外西光太郎(昭和二〇年二月二八日生)は昭和三七年九月当時田川市所在の福岡県立田川東高等学校に在学中であつたところ同人が同年九月二五日同校三年一組の教室で第二時限目の訴外仁保秀一教諭担当の人文地理の授業時間中右教科以外の書物を見ていたことから、光太郎のクラス担任教諭であつた被告徳野並びに人文地理担任教諭の右仁保及び同校教諭訴外長田直文らは、右光太郎を同教室にて殴打したうえ教壇に起立させ、さらに同人を同校応接室に連行し、同日午前一〇時四〇分から午後三時までの間、被告徳野ら以外の者は同室に出入できないようにして長時間監禁して授業を受けさせないばかりか、昼食の機会も与えないでその間前記授業中における光太郎の態度を責め、同級生訴外田中孝二の行動に対する供述を強要し、あるいは平手で光太郎の頭部を殴打するなどの暴行を加えた末に同人を釈放した。

(二)  結果の発生について。

右光太郎は被告徳野らから釈放された後同日午後四時三〇分頃帰宅したが、その後書類その他自己の身辺の整理をしたうえ、翌二六日午前六時四〇分頃原告らの自宅倉庫において首つり自殺し、原告らは同日午前七時頃これを発見し直ちに医師の手当を受けさせたが、時すでに遅く蘇生するに至らなかつたものである。

(三)  原告徳野の行為と光太郎の死亡との間の因果関係について。

右のとおり光太郎が自殺を遂げ死亡するに至つたのは、同人が前記(一)記載の被告徳野らの不法行為により、屈辱を感じ、憤慨し、極度の興奮状態に陥ちいるなどして多大の精神的苦痛を受け、この苦悩に耐えかねて自殺を決意するに至つたことによるものである。而しておよそ、教師とその担任生徒との間には学校の内外を問わず密接な人間関係があり、教師の生徒に対する特定行為に関して生徒がどのような反応を示し、その結果どのような行動に出るかについて教師としての能力と注意をもつてすれば予め予測できるものというべきところ、本件において被告徳野は光太郎のクラス担任教諭であつたのであるから、同人が満一七年六月の思慮未熟で温順な少年であること、そのほか同人の性格、平素の素行等についての知識があり、また同人が当時病気に罹つており肉体的にも弱つていたことなど、身心全般に亘る諸事情を知つており、従つてかかる状況のもとにおいて光太郎に対し前記の如き暴行等を加えたならば、同人が自殺等の挙に出ることのあるべきことを十分認識しながら、敢て同人に対し前記行為に及んだものであり、そうでないとしても少くとも、当然かかる自殺等の結果を招来することを予見し得べかりしものであるから、右被告徳野らの行為と光太郎の死亡との間には法律上いわゆる相当因果関係があるものといわなければならない。

(四)  被告らの責任について。

(イ) 被告徳野は前記の事実に基き、光太郎の死亡によつて生じた損害につき民法第七〇九条による賠償義務がある。

(ロ) 被告原野は当時田川東高等学校の校長の地位にあり、同校の設置管理者としての被告県に代つて、同校教職員の教育事務を指導監督すべき立場にあつたもので、しかも、かねてから被告徳野が喫煙等の些細な行為を理由に同校生徒にひん繁に殴打等の体罰を加えていた事実を知りながら、何ら適当な措置を講ずることなくこれを放置していたのみか、かえつてかかる行為を奨励するなど、その監督に重大な過失があつたものである。よつて、原告原野は、第一に被告徳野の前記不法行為についての共同不法行為者として民法第七一九条の規定によりその責任を負うべきであり、然らずとするも同法第七一五条二項にいわゆる代理監督者として、損害賠償の義務がある。

(ハ) 被告県は、その設置管理に係る県立高等学校の教師の地位にある被告徳野において、公共団体としての県の公権力を行使するにつき故意に光太郎に本件不法行為に及んだものであるから、原告らの蒙つた損害につき国家賠償法第一条一項に基き賠償の責任がある。仮に右徳野の行為が公権力の行使に該当しないとしても、民法第七一五条所定の使用者責任による賠償義務を免れない。

(五)  原告らの蒙つた損害額等について。

(イ) 光太郎の得べかりし利益の喪失による損害。

亡光太郎は死亡当時満一七年六月二八日(高校三年生)で高等学校卒業後は一年浪人を計算に入れるとしても遅くとも満二三年一カ月に達する昭和四三年四月一日には大学を卒業し就職稼動する予定であつたから、稼動可能年数は同人が六〇才に達するまでの三六年一一カ月となり、新制大学を卒業後直ちに会社に就職し六〇才に達するまで勤続した場合その者に支給される平均的給与の額を、労働省労働統計調査部編纂の統計資料により初任の基本給を月額二万五、五〇〇円とし、その他に特別給与の額をも計算に入れて集計すればその間の収益は、総額三、九五〇万八、九〇〇円となるところ、これより同人の生活費として全国消費実態調査報告の示す数字により右収益の83.76%に相当する金額と、更に大学在学中及び予備校一カ年在学中の毎月の経費を二万円と見積つてその間の合計一二〇万円とをそれぞれ控除して得た五二一万六、二四五円が亡光太郎べかりし利益を喪失したことによる損害額となる。而して原告らは光太郎の直系尊属として各自の相続分に応じて、右金額の二分の一に相当する金二六〇万八、一二三円(円位未満四捨五入)の損害賠償請求権を相続により承継取得した。

(ロ) 原告ら固有の慰藉料

原告らには、光太郎の外二男一女があるが、原告らは光太郎が高校卒業の後遅くとも一年浪人後の昭和三九年四月には九州大学ないし山口大学の経済学部に入学させ将来は銀行員として身を立てさせる方針のもとに教育を受けさせていたものであり、本人もこれを希望していた。そして原告らは光太郎の将来を唯一の楽しみとして家計の維持と子女の教育に日夜努力して来たが、その最愛かつ前途有望の実子を失つたことにより極めて大きな精神的苦痛を被つたから、被告らがこれを慰藉するため原告らに対し支払うべき慰藉料の額は各原告につき金一五〇万円が相当である。

(ハ) 謝罪広告の必要

本件に関する事実関係の真相、殊に光太郎の死亡原因等については今日まで一切外部に明らかにされておらず、そのため諸種の噂が発生し、同人の実父母である原告らの名誉が著しく毀損された。しかも被告らは光太郎の葬式に金一、〇〇〇円の香典を供えたのみで、そのほかには今日まで謝罪にすら来たことがなく、誠意ある態度を示さない。従つて、右死亡の原因等を田川東高校の在校生及びその父兄、その他学校関係者に知らしめ、もつて原告らの名誉の回復を図るとともに将来かかる事件の再発を絶滅するため、その方法として被告徳野、同原野に対し別紙のとおりの謝罪広告を求めるものである。

(六)  そこで原告らは、被告らの各債務が不真正連帯債務の関係にあることも考慮し、被告らに対し、被告らが連帯して各原告に対し前記損害額の内金二六〇万八、〇〇〇円ならびに慰藉料一五〇万円の合計金四一〇万八、〇〇〇円及びこれに対する損害発生の後である昭和四四年一〇月一日から支払済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、被告原野、同徳野に対しては請求の趣旨どおりの謝罪広告をなすべきことを求める。

第三、請求原因に対する被告らの答弁ならびに主張。

一、本案前の抗弁

原告らは本訴において被告県に対し国家賠償法第一条一項による損害賠償を求めながら、これに加えて、被告徳野ならびに被告原野ら公務員個人に対しても不法行為法上の責任を訴求し、被告県と連帯して賠償すべきことを求めるというのであるが、そもそも同法第一条一項の規定は、公務員の不法行為につき国又は公共団体のみがその責に任ずべきものであつて、当該公務員はこれと別個に直接被害者に対し個人としての責任を負担するものでないことを定めた趣旨と解されるから、被告県を除くその余の被告らに対する本訴請求は不適法として却下されるべきである。

二、本案についての答弁。

(一)  請求原因(一)の事実中、原告の二男訴外亡西光太郎が原告ら主張の時期に田川東高等学校三年生として在学中であつたこと、被告徳野、訴外仁保、同長田らの同校における当時の地位が原告ら主張の通りであつたこと、光太郎が原告ら主張の日時、その主張の教室で仁保教諭の人文地理の授業を受けていた際、右授業とは関係のない別の教科の書物を開いていたこと、右光太郎がその後同校応接室に連れて行かれたことは認めるが、その余の事実は否認する。

右授業中光太郎外二名の生徒がしきりに私語をしており、そのうえ同人は生物の書物を机上に開いていたので仁保教諭が同教室内において同人に注意を与え更に右授業時間終了後職員室等において注意を与えたが、その際、被告徳野は光太郎らが右仁保教諭から説諭を受けているのを認めたので、光太郎は自己の担任学級の生徒であり、かねてから卒業もおぼつかない程度の成績で素行面も問題のある生徒であつたので、この際同人に反省を求める必要があるものと判断し、直ちに教室に戻ろうとする同人を呼びとめ、人目をさける意味で同日午前一〇時五五分頃、同校応接室に伴い、椅子にかけさせたうえ反省を求めたのである。しかるに同人は反省の意を示すどころか同室を飛び出したり、沈黙する態度に出て、ついには興奮状態にあつたので、その気持を解きほぐす必要もあり時間をかけて説諭を続け、時には同人の希望をいれて他の教諭に説諭を依頼するなどして、ようやく同人の気持を落着かせたうえ説諭したところ、ついに同人が反省の色を示し明日から真面目に勉強することを約束した、そこで授業時間を見はからつて、同日午後三時頃同人を教室に帰らせたのである。

なお右応接室は隣接する教職員室ならびに廊下との境にはそれぞれ出入口があつて、自由に出入りすることができる状況にあつたのである。

(二)  請求原因(二)の事実は不知。

(三)  同(三)の事実は否認する。光太郎は一時は退校するとまでいつて興奮していたのであるが被告徳野らは長時間の説得により最後には冷静に戻らせ、光太郎自ら明日から真面目にやると述べるに至つた経緯から見れば、同人が自殺するに至る事情などは教師としての被告徳野においても予見困難なことであり、この点に関する法律上の因果関係は存しない。

同人の自殺の原因は、むしろ同人が当時ノイローゼ気味であり、これに加えて親子間の感情的断絶の状況にあつたことによるものである。

(四)  同(四)の事実中田川東高等学校が被告福岡県の設置管理に係る県立高等学校であること被告原野が当時同校の校長であつて被告県に代つて同校教諭等を監督すべき立場にあつたことは認めるがその余の事実は否認する。

(五)  同(五)の事実中亡光太郎の当時の年令が原告ら主張の通りであつたこと及び被告らが香典を持参した事実は認める。同人の進学の希望、将来の進路についての方針等は不知。その余の事実は否認する。

第四、本案前の抗弁に対する原告らの答弁。

国家賠償法第一条二項は国又は公共団体の、公務員に対する求償権を認めているが、右規定は単に国又は公共団体の内部関係を定めたにすぎないもので同条の法意は被害者が加害者である公務員個人を相手方として不法行為責任を訴求することを許さない趣旨のものではない。従つてこの点についての被告らの主張は理由がない。

第五、証拠関係〈省略〉

理由

第一被告福岡県に対する請求について

(一)  被告徳野の行為について。

被告県は福岡県田川市に同県立田川東高等学校を設置してその管理運営に当り、被告原野勇高は昭和三七年九月当時同校校長、被告徳野伊勅は同校教諭であつたこと、原告両名の二男西光太郎(昭和二〇年二月二八日生)は当時同校三年に在学中で、被告徳野担任のクラスに所属していたことは当事者間に争いがない。

さらに右光太郎が昭和三七年九月二五日同校三年一組の教室において、第二時限目の、訴外仁保秀一教諭の担当する人文地理の授業に出席していたことは当事者間に争いがないところ〈証拠〉を綜合すれば、右光太郎は右授業中、隣席の訴外香月祥二、三海勝弘らと私語を続けて暫らくこれを止めず、授業を受けている風にもみえなかつたので、仁保教諭はこれに注意を与えるため光太郎らの席に近寄つたところ、同人はその時間の教科の本を開いていないで、生物の参考書を机の上に置いていたことが発見されたので、同教諭は直ちに右光太郎ら三名を叱責して右授業が終了するまで前記教室の教壇の横に立たせたこと、授業時間終了後、同教諭は右三名を同校職員室に呼び寄せ、同人らが日頃人文地理の成績が悪いこと、就中光太郎は合格点にも達しない成績であることも併せて訓戒し、同人らも納得したので第三時限目の授業開始(午前一〇時五〇分)とともに教室に戻るよう指示したこと、被告徳野は職員室において右状況を認め、その三名中光太郎が自分の担任するクラスの生徒であり、しかも日頃から学業、素行につき問題があると感じていた生徒であつたので、この際仁保教諭から訓戒を受けた理由をただすと共に、十分注意を与えようと考え、教室に戻ろうとする同人を呼び止めて右職員室に隣接する応接室に伴い、同室のソフアーに腰かけさせたうえ、「君は反省することがあるのではないか」といつて非行事実の告白を求めたところ、同人は「反省することは何もない」といつて当初から反抗的態度を示し、再度に亘る右同様の詰問に対しても依然として、反抗的態度を示すのみでこれに答えないため、「そんなことなら学校を辞めてしまえ」といつて叱責したところ、同人は「辞める」といつて同室を飛び出したこと、被告徳野はこれを追つて隣室の校長室入口で光太郎の腕をとらえ「話しはまだ終つていない」と告げて応接室に連れ戻し、容易に腰を降ろそうとしない同人をなんとか椅子に座らせ、再び仁保教諭から訓戒を受けた理由を問い質したり、光太郎の日頃問題のある非行例を挙げて同人に反省すべき点のあることを認めさせようと説得を続けたが、同人は沈黙して、容易にその拒否的態度を変えようとしなかつたこと、そのため同被告は自分の説諭行為が客観的にも相当なもので決して根拠のないことをいつているのでないことを示し、なんとか光太郎を自己の説諭に服させようとの考えから、光太郎の意見をきいた上同人の指名した同校教諭訴外長田直文に同室に来てもらい、同人に依頼して説得してもらつたところ、光太郎は「わかりました、辞めればいいのでしよう」といつて立上り、同室を出ようとしたので、被告徳野及び長田教諭はこれを引きとめて腰かけさせ、なお説諭を続けたこと、同日一二時四〇分(昼食時間の開始時)頃、長田教諭は応接室を出たので、その後昼食時間中被告徳野のみで更に説諭を続けたが、同被告は午後の第五時限目の授業に出る時刻になつたので、光太郎になお同室に残つて反省するようにと告げて同日午後一時一〇分ごろ同室を出たこと、同二時被告徳野は授業を終えて同室に戻り、光太郎に反省したかどうかを尋ねたところ、同人はなおも反省する気持はないといつてその態度を変えなかつたこと、その際偶々同室で新聞を読んでいた前記仁保教諭も加わり、光太郎に対し、同人がかつて喫煙したことや、その時まで他に公表しなかつた同人がかつてカンニングを行なつた事実などを挙げて反省を促したところ、同人が自らこれらの非行事実を認めたため、被告徳野は「なんだそんなことをやつていたのか、やはり反省すべき点があるではないか」といいながら平手で同人の頭部を数回殴打した上、最後に明日父親を学校に出頭させるよう申向けて、同日午後二時三〇分頃ようやく同人をクラスの教室に帰らせたこと、同人は父親が学校に出頭することを嫌がり、父親はかかる問題について理解がなく出頭しても無駄であることを同被告に告げて、父親が学校に出頭することは許してくれるよう同被告に懇願したが、聞き入れられなかつたこと、同人は右応接室に留め置かれた間、昼食をとる機会も、当日の授業を受ける機会も与えられなかつたこと、以上の事実が認められる。

さらに〈証拠〉によれば、(イ)被告徳野は当時二五才位で未だ弱年であつたこともあり、潔癖感が強く、教育に熱心で、生徒の非行に対し寛大に処したり看過することなどのできない性格で、事の軽重を問わず非行ある生徒を職員室などに呼びつけて訓戒することが多く、(ロ)しかも幾分短気で激情に走りやすく、また攻撃的性格でもあるため、時にはその訓戒も過度に及ぶことがあつたこと、即ちしばしば体罰を加え、しかも激昂のうえ訓戒に臨む場合もあり、かかる場合かなり激しく殴打するなどの暴行を加えることがあつたこと、(ハ)暴行を加えた結果生徒を負傷させたり、逆に生徒に刃物で刺されるなどの事件が発生したこと、(ニ)光太郎もまた従前同被告から再三職員室に呼ばれて訓戒を受けたことがあり、このことを非常に嫌悪していたもので、このような経緯により従前から同被告にかなりの反感を持つており自分がつまらない人間になつたのも同被告担当のクラスに入つたことによるものであつてそうでなかつたならばもつとましな生徒になつていたであろうと思い悩んでいたこと、以上の事実を認定することができる。……(中略)もつとも前記(ハ)の事実中には本件で問題とされている光太郎に対する被告徳野の懲戒行為のなされた以後の出来事もあるが、被告徳野の性格を考察するに当つては見逃し難い事実であるといわなければならない。

以上認定の諸事実を綜合すれば、右応接室における被告徳野の光太郎に対する行為(以下本件懲戒行為という)は、同人においては同被告に対する従来からの憎悪・反感に加えるに、些細なことでまた同被告から訓戒を受けることは如何にも不合理であるという感情をもつてこれを受けとめて反抗的態度を示し、他方同被告においても光太郎の右のような態度から憤激・憎しみの感情を醸成し、その場における言辞も粗野に亘るなど、双方かなり感情的になつたふん囲気の中でなされたこと、同被告の本件懲戒の態様も、右光太郎が反省すべき非行のあることを自認し、告白し、これに反省を示すまで容易に釈放しないといういわば片意地とも見られるほどの態度で臨み、かなり執拗かつ強圧的に右自認等を迫つたことが推認される。

(二)  本件懲戒行為の違法性及び損害の発生。

そこで次に被告徳野の前認定の行為の違法性につき検討する。もとより、公立高校の教師は生徒の教化・育成という教育目的達成のため、問題行動のある生徒に対して必要に応じて叱責・訓戒などの事実上の懲戒を加える権限を有することは明らかであるが(学校教育法一一条)、他方において右懲戒権の行使には往往にして生徒の権利侵害を伴うことも少くないから、懲戒を加えるに際してはこれにより予期しうべき教育的効果と生徒の蒙るべき右権利侵害の程度とを常に較量し、いやしくも教師の懲戒権のよつて来たる趣旨に違背し、教育上必要とされる限界を逸脱して懲戒行為としての正当性の範囲を超えることのないよう十分留意すべきであつて、かくしてこそ権利侵害を伴うことのあるのに拘らず正当行為としてその違法性が阻却されるのである。そのためには、当該生徒の性格、行動、心身の発達状況、非行の程度等諸般の事情を考慮のうえ、それによる教育的効果を期待しうる限りにおいて懲戒権を行使すべきで、体罰ないし報復的行為等に亘ることのないよう十分配慮されなければならないことはいうまでもない(同法一一条但書)

本件の場合、前認定のとおり、被告徳野と西光太郎との間の教育的な信頼関係は従前から既に崩壊された状況にあり、しかも、本件非行は比較的軽度のものであるうえ、本件懲戒行為の直前に他の教諭の適切な訓戒を受けて十分納得服従したばかりの光太郎に対して更に本件懲戒がなされたのであつて、被告徳野において、かかる光太郎の心的状況や自己との人間関係、緊密の度合などに深く考慮、洞察をめぐらすことなく訓戒を始めたのであるが、当初からの光太郎の反抗的態度を契機として、かなり感情的緊張場面を作り出し、自己の訓戒に屈服せしめるため、強圧的に、かつ相当の執拗さをもつて非行事実の告白とこれについての反省を強要し、更に退学のことに触れたり父兄の出頭を求めるなどの言辞を弄し、応接室を出ようとする同人を、再度その腕をつかむなどして引き戻し、同人を精神的混乱に陥しいれ、訓戒に応じそうにもないかたくなな同人に対し昼食をとる機会も、授業に出席する機会も与えないで、約三時間余りにも亘つて、応接室にとどめ置き、ついに同人が非行事実を自認し、一応反省の意を表するに及んで、同人を殴打したうえ釈放したというのであるから、本件懲戒行為は、単に教育的効果を期待しえない不適当な訓戒の方法であるというにとどまらず、右光太郎の身体的自由を長時間にわたつて拘束し、その自由意思を抑圧し、もつて精神的自由をも侵害し、ついには体罰による身体への侵害にも及んだのである。これらの点を綜合して判断するとき、本件懲戒行為は、故意に又は少くともその行使の正当性の範囲に関する判断を誤つた過失により、担任教師としての懲戒権を行使するにつき許容される限界を著しく逸脱した違法なものであると解するのが相当である。もちろん、非行のある生徒が教師から訓戒を受けるのに際し自らの非行を省みるどころか却つて反抗的態度に出てこれを容易に改めようとしない場合には、当該教師としては時間をかけて繰返し説得を続け、時に厳格な懲戒に及ぶことがあつても己むを得ないことであるが、かかる点を考慮してもなお本件懲戒行為が許容される限界を逸脱したものとする前記の判断を左右するものではない。なお被告らは右応接室への出入は自由になされ得る状況にあつたから、監禁に亘るようなことはなかつた旨主張するが、仮りにそうであつたとしても担任教師と生徒との間には一般的に従属的関係に類似する関係が事実上存在することは否定しえないのみならず、本件の場合、光太郎が応接室を出ようとするのを再度引きとめ、同室にとどまることとを命じた経過からみれば、その間に身体的拘束が存在しなかつたものとみることはできない。

(三)  光太郎の自殺による死亡と本件懲戒行為との因果関係。

〈証拠〉によれば、西光太郎は本件懲戒を受けた翌朝の昭和三年九月二六日午前六時四〇分頃、原告方倉庫にて首つり自殺を遂げたことが認められる。右認定に反する証拠はない。

原告らは右光太郎の自殺による死亡は本件懲戒行為に起因するもので、その間に法律上のいわゆる相当因果関係がある旨主張するのでこの点につき判断するのに、〈証拠〉によれば、光太郎は被告徳野に釈放されて教室に戻つた後、級友に自分の唯一のトレーニングパンツを与えるなどして、同日午後三時三〇分頃下校したが、その際友人に対し、自分は今後学校には出て来ない旨述べたこと、同人は帰宅後の午後七時頃切手、便箋、封筒などを買い求めるために外出したが、帰宅の後午後一一時頃から翌日午前一時過頃までの間に級友宛の手紙六通をしたため、その後これを投函したこと、級友に宛てた右手紙には被告徳野から説諭された当日の九月二五日の一日中が大変不愉快であつたこと、被告徳野を恨みに思つており、同人の自分に対する仕打ちは死んでも忘れ得ないこと、二学期になつて少しは自重したつもりであるが先生達が自分に対する評価を変えてくれなかつたのが残念でならないこと、自分は今から自殺するが君達が卒業するときには被告徳野のことはよろしく頼む旨の、報復行為を期待する趣旨と見られるような文言などが記載されていることが認められ、右認定に反する証拠はない。右認定の事実ならびに前段認定の本件懲戒行為の経緯態様に関する事実を勘案するとき、光太郎の自殺による死亡が本件懲戒行為により誘発されたものであつて、その間にいわゆる条件関係があつたことは容易に推認できるところである。

しかしながら、不法行為の直接的結果から、更に派生した損害を当該不法行為に基くものとしてその行為者に帰責せしめるためには、行為と損害の間に単にかかる条件関係があるのみでは足りず、両者の間にいわゆる相当因果関係があるとみられる場合であることを要するものというべきである。而して学校教師の懲戒行為(懲戒行為がその正当な範囲を超えていたとしても)によつて受けた精神的苦痛ないし衝撃により、当該生徒が自殺を決意し、更にこれを決行するような心理的反応を起すことは通常生ずべき結果ではなく、極めて稀有な事例に属することは、鑑定人池田数好の鑑定の結果によりこれを認めることができるのみならず吾人の経験則上容易に肯定できるところである。それ故かかる場合になお当該懲戒行為と自殺という結果との間に法律上の因果関係ありとするためには、生徒の自殺を招来するということについての特別の事情につき教師において当時これを予見していたか、または少くとも予見し得べかりし状況にあつたことを要するものといわなければならない。しかしながら本件において被告徳野がかかる特別の事情を予見し、または予見可能であつたことを認めるに足りる証拠はない。もとより人格の完成を目ざし心身ともに健康な国民の育成を期するという学校教育の目的から、教師は絶えず研究と修養に努め生徒の教育指導に必要とされる科学的教養を培うべきであることはいうまでもなく、日々の教育指導に当つては生徒の肉体的精神的特性ないし、日々の心身の状況などを十分に掌握して、個々の特性に着目し、これに即応した教育指導方法を選択し、絶えず教育的効果をも予測しながらその教育に努めるべきであつて、このことは生徒指導方法としての懲戒をなすに当つては特に懈怠されてはならない注意義務であるというべきである。ところで〈証拠〉によれば、被告徳野は熊本大学法文学部において、国文学を専攻し、昭和三四年三月同学を卒業後、直ちに田川東高等学校の教諭に任命されたものであることが認められ、この事実から同被告が、高等学校の教師として、これにふさわしい科学的教養を身につけていたことはこれを推認するに難くないところであるから、懲戒に対する生徒の心理的反応を判別するにつき通常人より以上の能力をもつていたことも肯認できるところであり、従つて本件の場合生徒が教師から懲戒されたことにより生きる希望を失い自殺を決行するに至るということに関する特別の事情についての予見の能力は通常人に比してすぐれていたものと見るべく、これに要求される注意義務の程度もまた通常人に比しより高度のものであるべく、予見可能であるとして期待される限界も拡大されたものとならざるを得ないことも明らかである。しかしながらまた一方において同被告は教育心理学などの専門家ではなく教育現場を担当する高等学校の一教師であるにすぎないのであるから、これに期待される能力ないし予見可能として要求されるべき限界にもこの点から自ら一定の制約があるものと見るべきは当然である。而して鑑定人池田数好の鑑定の結果ならび弁論の全趣旨によれば、右光太郎は温和、やや内気、やや過敏性という性格のもち主であつてまず平均的な気質の生徒であり、多少の非行はあつたが、これらも反抗期にある高校生にあり勝な偽悪性、反抗性を顕示していたというにすぎず、さほど悪質であつたともいえず、その素行・学業成積ともに平均的であつて、異常というほどの挙動を示したことはなく、自殺に結び付く特別な精神的疾患や特異な性格的欠陥などは有していなかつたものと認められる。もつとも〈証拠〉によれば、光太郎は本件懲戒を受けた当日の六日前である九月一九日、身体の疲労と胸苦しさを訴えて三井田川鉱業所病院に赴き内科医訴外渡辺好春の診察を乞い、心臓神経症及び蛋白尿という診断を受けたこと、右神経症はノイローゼに基因するものであることが認められるけれども、他方右各証拠ならびに鑑定人池田数好の鑑定の結果、原告両名の各本人尋問の結果によれば、右神経症も器質的な病変がみられたわけではなく、主として本人の訴による診断であり、比較的軽度のもので、その直後行なわれた前記高校の運動会にも参加し、平常どおり通学し、両親においてすら光太郎に別段病気があるとも気付いていなかつたこと、右症状も直ちに自殺に結び付くほどの精神的疾患とはみられないことが認められ、まして教師である被告徳野においてかかる病状を発見することは困難であつたものと見るのが相当であり、その他に被告徳野が光太郎の右心身の状況を知つていたことを認めるに足る証拠はない。これらの事実及び前段認定の事実によれば、光太郎の自殺行為は突発的な激情にかられて衝動的になされたものでなく、かねてからうつ積していた被告徳野に対する反感・憎悪が本件懲戒行為により一層増大し、その心理的反応としての反抗、攻撃性を最も衝撃的とみられる自殺という間接的行動で顕示することにより、その報復感情を充足する目的がその間に伏在していたものであることが推認されるのみならず、前記鑑定の結果によれば、教育心理学的には本件の場合自殺の結果を事前に予測し配慮されるべき場合であつたものということができるが、教育心理学の専門家でない教師にとつて、訓戒の現場における光太郎の態度から直ちにかかる結果を予見することは困難な状況にあつたことが認められる。以上の事実に前認定の本件懲戒行為のなされるに至つた経緯、懲戒の態様、応接室における光太郎の態度、反応等を勘案するとき、被告徳野が教師として、これに要求される相当の注意義務を尽したとしても、光太郎が本件程度の懲戒によつて自殺を決意するような心理的反応を示す特別の心的状況にあつたことを予見し得べかりし場合であつたものとすることはできない。而して、なによりも自殺行為による死亡という結果は、自殺者の自ら選択した行為によるものであり、他人の行為によつて受けた精神的、肉体的苦痛ないし衝撃が極めて重大で、何人も生きる希望を喪失し自殺を選ぶ外に道がなく、それが何人にとつても首肯するに足る状況にあつたと見られる場合は格別であるが、本件の場合、客観的にはいまだかかる切迫した限界状況にははるかに及ばない場合であつたものと見るのが相当であり、かかる事情を彼此考慮すれば、光太郎の死亡と本件懲戒行為との間に法律上の因果関係を肯定することは相当でないといわざるを得ない。

光太郎の死亡に伴なう損害につき被告県に責任のないことは以上の説示により明らかであるが、被告徳野の本件懲戒行為により光太郎が直接に蒙つた損害の有無並びにその責任の所在については、以下順次に検討を加えることにする。

(四)  被告県の責任について。

原告らの被告県に対する請求は、国家賠償法第一条一項により地方公共団体としての被告県の公務員として、公権力の行使に当る被告徳野らの違法行為に基く損害賠償責任を追及するものであるから本件の場合、同人らの行為が右公権力の行使に該当するものであるか否かにつき検討しなければならない。

およそ国公立学校における教育は学生生徒の教化・育成を本質とするものであつて、国家統治権に由来するいわゆる狭義の公権力の行使を本質とするものでないことはいうまでもないが、他方学校教育は学生生徒による国公立学校という公の営造物利用の関係であり、いわゆる特別権力関係の範ちゆうに属する側面を有するものといわなければならない。而してかかる関係における教師の生徒に対する懲戒権の行使は、かかる営造物利用関係における内部規律の維持ないし教育目的達成のためになされるものとしてその合理的根拠を有しているもので、その権利の存在は学校教育に不可欠のものであり、その現実の行使は右特別権力関係における特別権力の発動としての実質を有するものであり、公的性格を有するものであることは否定しがたく、その権力発動がいわゆる非権力作用を本質とする学校教育という特別権力関係において行使されるの故をもつてその公権力性を否定するのは相当でないといわなければならない。従つて、国公立学校において、教師が非行のある生徒に対し、学内の秩序を維持し、且つ教育目的の達成のための生徒指導の方法として懲戒をなすことは、国家賠償法第一条にいわゆる公権力の発動としてなされるものであると解するのを相当とする。本件の場合公立高等学校において非行のある生徒に対し、担任教師がその生徒の非行矯正ないし教育指導方法として事実行為としての懲戒をなした場合であるから、右行為は国家賠償法第一条一項にいわゆる公権力の行使に該当するものというべきである。

そして被告徳野は被告県の設置、管理に係る高等学校の教師として、その生徒である光太郎に対し懲戒権を行使するにつき、後段において認定する通り同人に損害を加えたものであるから、当該公共団体としての被告県は、被告徳野の本件行為によつて生じた損害を賠償すべき義務があるといわなければならない。

(五)  原告らの請求権ならびに損害額について、

前示のとおり光太郎の死亡による損害は本件不法行為による損害の範囲に入らないものであるから、同人の死亡に伴つて生じた損害に関する原告らの本訴請求は理由のないものであることは明らかである。

ところで原告らは、本件において、被告徳野の行為によつて光太郎自身が生前蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料請求権を相続により承継取得したこと、ないし被告らに対し右慰藉料の支払を求めることを明らかには主張しないところであるが、光太郎に対する被告らの不法行為の事実、これにより光太郎及び原告らが損害を蒙つた事実並びに原告らが光太郎の直系尊属として同人の遺産を相続した事実はこれを主張しているのであるから、原告らの、光太郎の死亡に伴なう得べかりし利益の喪失による損害賠償請求権を相続により取得したとの主張並びに光太郎の死亡による同人の遺族としての原告らの固有の慰藉料請求の主張には、これが理由のないものとして排斥された場合予備的に本件不法行為によつて光太郎が生前に蒙つた身体権ないし人格権侵害に基く慰藉料請求権を原告らが相続により取得したこと、ないしこの事実に基いて慰藉料の支払を求める旨の主張をも含む趣旨であると解するのが相当であり、かく解しても原告らの意思に反することにはならないものと解すべきのみならず、被告らのこれに対する攻撃防禦を不能又は困難ならしめる結果を招来するものでもないから、民事訴訟を支配する弁論主義の原則に反するものではないといわなければならない。

よつて、本件懲戒行為によつて光太郎が生前において蒙つた精神的損害の有無について判断することとする。本件懲戒行為が、思春期にあつて感受性が豊かであり、精神的に未熟な段階にある少年光太郎に対し、屈辱感、劣等感等の精神的苦痛を惹起させたであろうことは前段認定の事実から容易に推認できるところであり、これに本件懲戒の程度、その原因となつた光太郎の非行の程度その他諸般の事情を考慮するとき、本件懲戒行為によつて光太郎の蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料の額は金三万円をもつて相当とするところ、〈証拠〉によれば、原告らは光太郎の直系尊属として各自の相続分に応じ右慰藉料請求権を各二分の一宛相続により承継取得したことが認められるから、結局、被告県は原告らに対し金三万円及びこれに対する前記不法行為による損害発生の後である昭和四四年一〇月一日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

よつて、原告らの被告県に対する請求は右の限度において理由があることに帰する。

第二被告徳野、同原野に対する請求について。

(一)  本案前の主張に対する判断。

被告ら訴訟代理人は、本件不法行為につき、原告は国家賠償法により公共団体としての被告県にその賠償を求めるほか、さらに当該不法行為をなした公務員としての被告徳野、同原野個人に対しても直接不法行為による責任を訴求するものであるが、同法第一条の規定に照し公務員個人に対する直接責任の訴求は許されるべきでなく、従つて原告らの被告徳野、同原野に対する本訴請求は不適法であつて却下を免れない旨主張する。

而して右の主張は要するに被告徳野、同原野の本件訴における被告としての当事者適格の欠缺をいう趣旨であると解されるが、本件の如き給付訴訟においては、特に法律で被告となり得る者を限定していない限り原告によつてその給付義務ありと主張される者が被告としての当事者適格を有するものであると解すべく、従つてこの場合、被告適格の存否の判断はその給付義務の有無、即ち本案の判断と同一に帰する性質のものであつて、被告らの右主張も結局のところ国家賠償法の規定の趣旨から被告徳野、同原野に損害賠償責任がないこと、換言すれば、同被告らに対する本訴請求が理由のないことを主張するに帰するから、この点本案において判断すべき事項であるといわなければならない。よつて被告らの右主張は、理由のないものとして排斥を免れない。

(二)  本案についての判断。

(イ)  金銭賠償の請求について

そこで進んで、被告らの前段(一)の主張を原告らの本訴請求が理由のないことの主張として検討するに、およそ公権力の行使に当る公務員が、その職務を行なうにつき故意過失ある行為によつて他人に損害を与えた場合、その賠償の責に任ずべき者は国家賠償法第一条の法意に照らし専ら国又は公共団体に限られ、行為者としての当該公務員個人は他人に対し直接に賠償責任を負担しないものと解するのが相当である。けだしかかる場合被害者たる他人は、十分な賠償能力のある国又は公共団体を相手方として賠償を求めることによつて完全に経済的満足を得ることができるから、被害者の損害の填補ないし回復を本質とする民事責任の建前からすれば、被害者の救済に欠くるところのないのはいうまでもなく、このうえ更に当該公務員の個人責任を追及できるとすることは、単に被害者が公務員個人の行為の道義性を問題とし、被害者の私的感情の満足ないしは報復感情の充足を図る以外に何らの実益も期待できないからである。

そこで原告らが被告徳野、同原野に対し金銭賠償を求める請求はその余の点につき判断を加えるまでもなく理由のないものとして棄却を免れない。

(ロ)  謝罪広告の請求について。

名誉毀損の場合における救済方法としての謝罪広告は、損害填補の一方法として一種の原状回復を目的とするものであるから、国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員がその職務を行なうにつき故意又は過失によつて他人に損害を加えたときは、国又は公共団体がこれが賠償の責に任ずべきであり、被害者は公務員個人に対し直接に賠償を求めるべきではないとする前段の説示はこの場合にも妥当するものといわなければならない。しかのみならず、本件において原告らの求める謝罪広告は本件懲戒行為と光太郎の死亡との間に相当因果関係の存することを前提とするものであるところ、右因果関係の否定せらるべきことは前段説示の通りであるから、原告らのこの点に関する請求もまた理由がないことに帰する。

第三結論

よつて、原告らの本訴請求は、被告県に対する請求のうち第一項の(五)において示した金三万円及びこれに対する昭和四四年一〇月一日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める限度において理由のあるものとしてこれを認容し、同被告に対するその余の請求ならびに被告徳野、同原野に対する請求は全て理由のないものとしてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第九三条一項本文を適用し、仮執行の宣言を付するのは相当でないからこれを付しないこととして、主文のとおり判決する。

(川渕幸雄 工藤雅史 川本隆)

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